「なみのり日記」 〜上もなく 下もなく〜

 世間の波に洗われながら、並みの(一般的な?)生活を送っている30代後半(アラフォー)男性の日記です。現在、妻と共に1歳の長男を育てています。

天子の剣、諸侯の剣、庶人の剣

 昔買った本を読み返している。
 武道、武術に熟達した人たちと、ゆる体操を考案した高岡英夫氏の対談集だ。
 その中に、「荘子」の一節に基づく、タイトルの話があった。

 昔、趙に文王という武術好きな王がいて、毎日のように武術家同士の試合を楽しんでいた。
 それが三年も続くと、国内に強剛な兵士がほとんどいなくなってしまった。
 国の有能な剣士が減っていくのを憂えた太子がどうにかしようと荘子に相談する。
 荘子は、文王の気に入る武術者らしい格好で目通りし、「おまえはどのような剣を使えるのか」という問いかけに対し、以下のように答える。
 「剣には三種あり、天子の剣、諸侯の剣、庶人の剣である」。
 天子の剣についてたずねられると、天下全体を剣にたとえ、「この剣ひとたび用うれば諸侯を匡し、天下を服す」。
 虚を突かれた文王が、呆然として、では諸侯の剣とはどんなものかとたずねると、今度は、有能な人材の集まりである一国を剣にたとえて、「この剣ひとたび用うれば雷てい(かみなり)を震うがごとし」。
 最後に、庶人の剣についてたずねられると、荘子は、そんなものは闘鶏(しゃもの喧嘩)と変わらないと言い捨てる。つまり、庶人の剣は単なる低俗な力比べであって、天下を治める王にとっては何の意味もないとさとす。
 王はショックを受けて自室にひきこもってしまう。

 この話をなされたのは、明治神宮道場至誠館館長(当時)稲葉稔氏だ。
 氏は、庶人の剣を目指すのもよい、徹底してやれば宮本武蔵ほどの人が出てくるかもしれない。
 諸侯の剣を目指せば、柳生但馬守のような人が出てくるかもしれない。
 天子の剣をめざすなら、天下国家を正す豊臣秀吉のような人物が出てくるかもしれない。
と語る。
 しかし学生たちには、「私はこうして庶人の剣をやっています」「出来れば、諸侯の剣、天子の剣を目指してほしい」と言っているとのこと。

 さて、自分は、、
 天子の剣、諸侯の剣、庶人の剣。
 力むとあまりよいことがない、というか、力まずに動けるようになることが目標なので、やはりまずは庶人の剣から入るのだろうか。

<参考>
 
高岡英夫の極意要談―「秘伝」から「極意」へ至る階梯を明らかに高岡英夫の極意要談―「秘伝」から「極意」へ至る階梯を明らかに
(1997/12)
高岡 英夫

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コメント


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興味深い話だ。それぞれに「役割」というものがあり、それに応じて求められる態度、言動というものがある、ということだろうか(いろいろな受け取り方が可能なんだろうけど)。 人はいろいろな役割を経験しながら、自分というものを確認していくのかな・・・。  (ドラマ「篤姫」は、いくつかのキーワードを繰り返し登場させていた。家族、誇り、そして、役割、この3つだったのではないかと思っている。)

tetsu | URL | 2009年01月05日(Mon)14:15 [EDIT]